昔、新潟県のお米は「鳥またぎ米」と呼ばれていたそうです。

意味は鳥も見向きもせずにまたいで行くという程まずい米だそうです。                            それから私の祖父の代に「越南17号」後のコシヒカリが作られはじめました。

初めは他の品種に比べ病気にかかりやすい、稲自体が長く成長するため倒れやすいなどいろいろな問題があったそうですが栽培技術の向上で解決していき、”越の国に光り輝く稲”「コシヒカリ」が誕生しました。      

その後、「コシヒカリ」は市場での評判はよく、特に魚沼産のコシヒカリはとても高い評価をもらったそうです。しかし当時産地はどこで収穫されたものでもすべて新潟産コシヒカリであり農家からの買い取り価格は均一でした。そうして一括に買い取られた米が消費地では、魚沼産コシヒカリとわけられて売られていたそうです。そこで疑問に思った父親達の代で苦労し別立て上場(産地区分をし上場、入札すること)のシステムができて”おいしさの価値”がようやく農家へ還元されることになりました。

このことが「魚沼産コシヒカリ」を全国トップブランドへ押し上げたのです。

そして今も全国のみならず世界のトップを走り続けています。

先人達の苦労と努力、今も続くうまい米作りへの情熱が現在の「魚沼産コシヒカリ」を作っているのです。